行ってきました。宮城県立石巻高等学校! その2



 コンサート終了後、石巻の沿岸部にいきました。
学校出る直前、道順を三國校長先生にたずねると、お忙しい中にもかかわらず自ら案内してくれました。


海がみわたせる高台の神社
港と工場町を見渡せる高台の公園、そして全焼してしまった門脇小学校などを案内してもらい、校長先生の体験談を聞かせていただきました。

この町は北上川をはさみ石巻港、日本製紙工場などがあり、水産の町と工場町が隣接していた。石巻魚港は全長1200メートルの東洋一の大きさ。230社の水産会社が軒を連ねていて、日本全国に魚が下ろされていたそう。ここも津波によって壊滅状態になってしまったとのこと。


当日は雪が降っていたそう。午後4時ごろ突然ぽっと太陽があがったので、気になって外に駆け出してみるとたくさんの家が流されてるのを見て、これは大変なことになっている!と事態の大きさを知ったそう。

高さ10メートルの波が襲い、木造の家は壊滅、プロパンガスなどが爆発し、一晩中燃えていたとのこと。
ご自宅も流されてしまっていたが、92歳になる先生のお母さんはなんとか無事だった。先生曰く、お父さんが建てた家なので守ってくれたんだなと思ったとのこと。
そのあと火が上がり始めたので、山に火が上がらないように必死の消火活動、そして生死のわからないまま流されてきた人たちを次々に担いで、学校まで搬送。全身泥だらけになりながら皆で助け合ったそうです。
校長先生はその日からは60日間学校に泊り込み働き続けました。

震災津波後、再会できた人たちとは、とにかく生きて会えた事を泣きながら抱き合い喜んだそうです。



潮で枯れてしまっている木。
壮絶なお話しに言葉を失いました。計り知れないほどの悲しみや悲惨な体験をされていて、そして現在それを乗り越え、明るく前向きに活動されているその姿に感動しました。
先生は「国や行政を待っていてもはじまらない、まず自分で動いていかなければ。」とおっしゃってました。たくさんの大きな決断、行動をし続け、きっと多くの方々の支えとなってきたのだろうなと感じました。そして今尚、活動に従事し続けています。

先生方を始め生徒の皆さんも明るく前向きに過ごし、助け合って支えあっているんだということ。それぞれが力強く輝いている姿に心を打たれました。

みなさんほんとにがんばってる。




一つのコンサートからうまれた出会いに感謝します。

これからも引き続き微力ですが、自分にできることでちからあわせて行きたいと思います。



今日が吹奏楽部のコンクールです。心より応援してます♪♪



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